院長プロフィール
【氏名】 野上 敏幸(のがみ としゆき)
【生年月日】 1976年9月17日 生まれ
【血液型】 AB型
【出身地】 神奈川県横浜市
【家族】 妻・息子2人
【趣味】 子供たちと遊ぶこと、体を動かすこと
【好きなもの】 食べ物:いちご・揚げ出し豆腐・親子丼・ビール
スポーツ:サッカー・フットサル・サーフィン
アーティスト:ケツメイシ・いきものがかり・ゆず
映画:猟奇的な彼女
【資格】 ・JACM認定カイロプラクター
・姿勢教育指導士
・IHTA認定ストレッチトレーナー
私が開院した理由
☆最初の決断(当時 27歳)
それまで勤めていたお弁当宅配会社の仕事を辞め、一生勤められる仕事を探すため
転職を決意。
☆慣れない仕事、精神的に辛い日々
半導体関連のメーカーで購買職の仕事へと転身。厳しい上司のもと、
なかなか自分のリズムを確立できず、肉体的にも精神的にも疲れ果てていく日々。
毎年の健康診断では、必ず胃潰瘍、胃炎など検査で引っかかることに・・・
☆結婚、そしてパパへ
それでも、プライベートではフットサルにサーフィンなど趣味の時間は充実させるようにしていたおかげで
フットサル仲間で海の好きな彼女と結婚。同時に30年住んでいた横浜を離れ、拠点をさいたまへ移動。
早々に第1子を授かり、パパになりました。
☆会社の大きな変化
世の中がリーマンショックの話題でざわついている最中、勤めていた会社も影響を受け、
状況は大きく変化していきました。(当時32歳)
☆2足の草鞋
心身ともに疲れ果ててきた頃、一冊の本を手にしました。
それがカイロプラクティックとの出会いです。
カイロプラクティックの「治る力」を引き出すという魅力に興味を持ち
今の自分も楽になれるのではないかと思い説明会へ参加しました。
正直、この年になって「手に職」大丈夫かという迷いの中、
私と同じように仕事などで疲れ、悩んでいる人へ手を差し伸べられるのなら
こんな素晴らしいことはないと思い、夜間部への入学を決意したのです。
この日から、人についての勉強が始まりました。
解剖学から生理学に病理学、人の動き方やメンタルな部分など様々です。
学生生活は、毎回の小テスト、定期的なテストに実技のテストと大変でしたが新鮮でもありました。
自分では、器用な方だと思っていましたが、実技では苦労ばかりでした。
人によってアプローチの仕方が変わってくるので、さっきまで出来てたことが
人が変わると全く出来ない!の繰り返しでした。
その分、出来た時の喜びは大きく自信へと変わっていきました。
☆卒業!
昼間は会社勤め、夜は学校と2年間通い続け無事卒業!
同期の中には、学校の運営する整体院へ早々に就職して活躍している人や独立する人もいたりと
焦る気持ちもありました。
しかし私は、会社と両立しながら小さな一歩を積み重ね少しずつ進んできました。
そして、卒業と同時期にインターンでお世話になっていた旗の台整体院で勤めることが出来ました。
実際の現場は、刺激的で勉強になりました。
☆会社員からカイロプラクターへ
とうとう昼間は会社、週末や夜は整体院、学生時代から約5年間の生活に終止符を打つ時がきました。
会社を退職し、次のステップへと羽ばたく時がきたのです。
☆妻のカラダをメンテナンス!
産後から肩こり、腰痛、首のこりや背中の痛みなど全身にわたり不調を訴える事が多くなり、
肩をもんだり、さすったりとしていました。
妻の身体を少しでもケア出来るなら、こんな素晴らしい仕事は他にはないと思ったことも
開院した理由のひとつです。
☆母親が四十肩、五十肩で腕が挙がらない
勤めていた整体院で四十肩、五十肩の患者さんを担当していた時、母親も同じく悩んでいたようで、
久しぶりに実家に帰り母親に施術をしました。動かせる範囲の確認から始め、
肩周辺の筋肉を緩めてた結果、動かせる範囲は広がり痛みも軽減しました。
母親は、驚きと喜びで満足していました。
☆妹が首から背中が痛いと悩む
普段は、接客で立仕事なので脚がパンパンでふくらはぎがむくむなどと騒いでいる妹が
その日は、首から背中が痛くて仕方がないと言うので15分くらい布団の上で緊張をほぐしていきました。
施術中、最初は痛がっていましたが、終盤は痛みもなくなり楽になったようで感動していました。
☆2015年7月7日 開院!
ついに、さいたま市の東大宮で【野のはな整体院】を開院することが出来ました。
これからは、家族だけではなく、お近くにお住まいの方やご来院頂く地域の方々へ
喜びや癒しの空間をお届けできれば嬉しく思います。